人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大杉栄

1885年→1912年 大杉榮クロニクル其の壱 1912年9月16日 大杉栄 <発刊事情>『近代思想』

大杉 栄 を中心としたクロニクル

確認データ元、項目末尾の記号、『未完大杉栄遺稿』はI  『初期社会主義研究』大杉栄特集・大澤年譜はO  『 評伝大杉栄』秋山清はA 『大杉栄書簡集』はL

1885年 1月17日 丸亀で生れる。一家はすぐに東京に移り麹町区の幼稚園に通うが、父は近衛連隊から左遷され新発田に赴任。大杉は幼少年期のほとんどを新発田で過ごす。

1889 末 父親が新発田に転任 I

1891 小学校に入学 I

1897 中学校に入学 I

1898 陸軍幼年学校の試験に落ちる、独り旅で東京、名古屋、大阪を知る I 

1899 名古屋地方幼年学校に14歳で入学。

1901 秋、大阪にて二週間遊ぶ。11月末、退学処分となる。I

1902 1月2日 新発田の家を出て、語学を学ぶため東京へ向かう。牛込矢来町、下宿。猿楽町の東京学院に通う。

1902 4月 四谷箪笥町仏蘭西語学校

1902 5月頃 下宿で谷中村の鉱毒事件への追及運動に触れる

1902 6月 母親が死去

1902 10月 順天中学の五年に入る、本郷壱岐坂下に下宿

「万朝報」を購読し軍隊外の社会を知る。

1903 3月頃 本郷教会に通う、海老名弾正の説教を聴くJ O

1903 9月 外国語学校に入学 O

1903 10月 洗礼を受ける、教会員となる O

1903 11月15日『平民新聞』創刊、大杉、幸徳秋水、堺利彦たちの非戦論に共鳴。彼らによる平民社の結成を知り、講演会を聞く

1904 3月 「社会主義研究会」に出席。その後、頻繁に平民社に出入りするようになる。『平民新聞』の海外事情欄に運動事情を訳載 I 3月13日 O

1904 3月頃 この頃、月島の下宿に移る

1904 7月19日 名古屋の社会主義者茶話会に出席。1904.7.31発行『平民新聞』38号に記事掲載

1905 7月 外国語学校卒業 Iの記述は翌年

1905 8月 『直言』に欧州社会党指導者の反戦論稿を翻訳掲載「社会主義と愛国心」 O

1905 10月 平民社解散

1905 『光』の発刊を手伝う

1906 2月24日 日本社会党、会場平民病院において結成。大杉は加盟していない。(電車事件判決理由)、不明 A。参加 O。

1906 3月5日 麹町区元園町2の5 由文社同居 C

1906 3月15日 電車値上反対の市民大会に参加、其の夜か翌朝に兇徒聚集罪により逮捕

1906 3月22日 東京監獄に移される A・L

1906 5月頃 U.S.A.の幸徳より『バクーニン全集』が送られる A・L

1906 6月21日 保釈で出る I

1906 7月9日電車事件、東京地裁無罪判決

1906 9月 堀保子と結婚、牛込田町で同棲 I

1906 11月『家庭雑誌』編集・経営、淀橋町柏木に移る A

1906 11月『光』掲載「新兵諸君に与ふ」(訳載)で新聞紙条例違反で起訴

1906 12月16日 エスペラント学校の卒業式で訓辞

1906 12月『光』廃刊

1907 1月 日刊『平民新聞』創刊

1907 2月 日刊『平民新聞』に「欧州社会党運動の大勢」を執筆、無政府主義者の名乗り I

1907 2月 この頃、豊多摩郡淀橋町柏木に移る O

1907 3月 日刊『平民新聞』クロポトキン「青年に訴う」翻訳

1907 4月14日 日刊『平民新聞』発禁

1907 この頃、亜州和親会で演説したという O

1907 5月28日 「青年に訴う」、最後の一章のために起訴、禁錮三月、巣鴨監獄に入る I

1907 5月31日 新聞紙条例違反に依り大審院に於いて軽禁錮四月罰金五十円に処せられる、入獄中のため引続き服役

1907 巣鴨監獄にて「…本を読む。バクニン、クロポトキン、ルクリュ、マラテスタ、その他どのアナアキストでも、まず巻頭には天文を述べてある。…」J

1907 11月11日 巣鴨監獄から出獄、直後劉師培、張継らの「社会主義講習会」に招かれる、牛込区赤城元町清風亭 O

1907 11月25日 電車事件東京控訴院<無罪判決>

1908 1月3日 淀橋町柏木318番地に移る

1908 1月17日 治安警察法違反、屋上演説事件で巣鴨にまた入れられる。禁錮一月半。本郷弓町の平民書房の屋根から「屋上演説」。「冨の鎖」を合唱 I

1908 1月20日 東京監獄に入る

1908 1月22日 巣鴨監獄に移る

1908 2月7日電車事件、大審院判決は原審破棄、宮城控訴院に移す

1908 2月10日 治安警察法違反に依り軽禁錮一月十五日に処せられる

1908 3月26日 出獄

1908 4月3日 栃木佐野町大雲寺での両毛同志会に参加、講演

1908 4月6日 麹町区飯田町、劉師培宅での日本滞在中国人のエスペラント講習会の講師

1908 6月13日 電車事件、兇徒聚集罪に依り宮城控訴院に於いて重禁錮一年六月に処せられる

1908 6月16日電車事件、罰金の2名を除き上告

1908 6月19日 前日出獄した山口孤剣を上野停車場で出迎え、赤旗四本をなびかせる。荒畑寒村が交番に引きずり込まれるも大杉ら同志が押しかけ奪還。

1908 6月22日 赤旗事件[山口出獄歓迎会で赤旗を振り回し警官隊と乱闘、14人の逮捕]、で未決監

1908 7月14日 電車事件、大審院上告棄却

1908 8月15日 赤旗事件第一回公判、第一の旗手大杉君は左の如く答弁せり。「同志は会場に居たりし間、無政府党万歳を叫び、革命の歌を唱えしも、場外に出づる時は最も静粛なりしに拘らず、門を出るや忽ち一名の巡査飛び来りて『旗を巻け』と言い様、赤旗に手に掛けて奪わんとせり。されど余は何等の命令も受けし事なし」「前述の如く旗を持て場外に出るや、門外に待伏せ居たる警官は『旗を巻け』と叫びて、強て是を奪わんとす、余は『理由なくして所有権を取んとするものは、強盗なり』と叫びて争えり、此時続々と同志の退場し来るを見し警官は更に他の旗に飛び行きて是を奪わんとしつつありたり。…」『熊本評論』29号 1908.8.20

1908 8月22日 赤旗事件第二回公判

1908 8月29日 赤旗事件判決、治安警察法違反及官吏抗拒罪に依り重禁錮二年六月罰金二十五円に処せられる(前刑通算)

「次で大杉君も亦『裁判長!』と疾呼して何事をか言わんとした、然し驚愕の色を眉宇に浮かべたる裁判長は、『今日は言渡しを仕た迄だ、不服があれば控訴せよ』と言い棄てて去んとする。茲に於て大杉君は『無政府党万歳!』と叫んだ他の同志も我劣らじと『無政府党万歳』を連呼した。…』傍聴席には60余名の同志が列席し、新聞社席には都下の新聞記者及幸徳秋水、坂本克水、徳永国太郎、等の諸君が着席して居た。大杉君は、かか大笑して居た。非常に感情の興奮する時、吾等は彼の此の哄笑を聞くのである。」『熊本評論』31号1908.9.20

1908 9月9日 千葉監獄に移される O

1908 12月19日 堀保子宛手紙「生物学と人類学と社会学との大体を研究して…」

1909 11月2日 父親死去

1909 12月23日 堀保子宛「左の本持参を乞う。仏文。経済学序論。宗教と哲学。英文、。イリー著、経済学概論。モルガン著、古代史。個人の進歩と社会の進歩。ロシア史」

1910 1月25日 堀保子宛「ドイツ文の本を何か頼む。…」

1910 2月24日 堀保子宛「フランスへ本を注文したいと言ったのは、…」

1910 6月16日 堀保子宛「今見たい本は『帝国文学』の発行所から出るもので物集博士の日本文明史略…」

1910 9月2日 千葉刑から東京監獄に移され、幸徳秋水たちの大逆事件に関連した取調べを受けるが弾圧は免れる。C・A

1910 9月16日 堀保子宛「英文。ダーウィン航海記。ディーツゲンの哲学。ショーのイプセン主義神髄。クロのロシア文学。モルガンの古代社会。…」

1910 9月22日 大逆事件の取調べ 東京監獄に移送→O 

1910 この間 「僕は大逆事件の被告たちのほとんどみんなを見た。…ある日幸徳の通るのを見た」

1910 11月29日 大杉栄満期出獄、大久保村百人町212

1912 1月18日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 2月25日 同志茶話会、堺方、「安倍磯雄の総同盟罷工論への批評」[調査書]

1912 3月23日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 3月29日 鎌倉より府下へ転住。(柏木)

1912 4月28日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 5月26日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 6月28日 神田美土代町青年会館「ルソー」200年記念会(堺、高島主催)に出席

1912 6月30日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 7月   大杉栄、荒畑寒村、新雑誌の発行を計画

1912 7月28日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 8月9日 同志樋口伝方における山口義三送別会に出席

1912 8月28日 千葉監獄より出獄の片山潜出迎え、両国停車場

1912年 9月16日 大杉栄 <発刊事情>記す『近代思想』10月号




by tosukina | 2011-09-29 07:00

史料、画像アップのためのブログ
by tosukina

画像一覧