大杉栄

大杉栄『自叙伝』土曜社発行 2011年9月16日其の二

1912 10月1日 『近代思想』刊行、調査書「幸徳伝次郎発行『自由思想』の購読者名簿に拠り各地方の同志に対し葉書を発送して該雑誌の購読を勧誘」  1912 10月 『近代思想』10月号掲載 大杉栄テキスト<本能と創造>評論<発刊事情><9月の評論>

1912 10月1日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 10月20日 大杉栄 <大久保より>「大赦令が出た」「寒村、社の裏隣に引越してきた」『近代思想』11月号

1912 10月24日 大杉栄 <大久保より>「寒村の病気がよくなった」『近代思想』11月号

1912 10月 大杉栄 <六合雑誌から>『近代思想』11月号

1912 11月 『近代思想』11月号掲載、大杉栄テキスト<ナイヒリストの死>小話<近代科学の傾向>評論<大久保より>雑録<六合雑誌から>

1912 11月2日 同志茶話会、堺方、談話記載無し

1912 11月 大杉栄 <座談>「パリの雑誌『門外漢』、『白樺が好きだ』、『太陽』内田魯庵」『近代思想』12月号

1912 11月19日 大杉栄 <大久保より>「先月の末に寒村と横浜へ、そして偶然浜辺を散歩してるベルギーの紳士と支那の淑女とに出会った。二人ともソシアストだ。紳士はセンデカズムの事などを話す、淑女は張継の消息などを聞かす……」『近代思想』12月号(調査書記載無し)

1912 11月20日 大杉栄 <大久保より>「今日はミカドのお帰り遊ばす日、半日検束」『近代思想』12月号

1912 12月 『近代思想』12月号掲載、大杉栄テキスト<法津と道徳>感想<唯一者>評論<座談>感想<大久保より>雑録

1912 12月10日 大杉栄 <大久保より>「あちこちのオヂさん達から手紙が来る。若宮卯之助、山田嘉吉、内田魯庵……吉川と寒村と三人連れで浅草の印刷所からアンダー・ゼ・タワーの見物に出掛けた、寒村が先導になって吉原に繰り込んだ……そのかわりに帰りによか樓をおごらした。……野依の入獄……」『近代思想』1月号

1913 1月 『近代思想』1月号掲載、大杉栄テキスト<近代仏文学の一面観>評論<思索人>感想<大久保より>雑録

1913 1月4日 近代思想社寄稿家招待会 日本橋メーゾン鴻巣

1913 1月12日 在横浜同志 金子新太郎等の開催新年会

1913 1月25日 堺方茶話会

1913 1月 大杉栄 <大久保より>「鴻の巣、高等視察が話の模様を尋ねた上に主人の身の上まで詳細に調べて行った」(寒村の大久保よりは第1回小集の報告)『近代思想』2月号

1913 2月 『近代思想』2月号掲載、大杉栄テキスト<道徳の創造>感想<奴隷根性論>評論<石川三四郎に送る><共和祭>小説

1913 2月2日 大杉栄、秋田監獄、坂本清馬に面会

1913 2月27日 堺方最後の茶話会、大杉参加

1913 2月 大杉栄 <青鞜社講演会>『近代思想』3月号(調査書記載無し)

1913 2月 大杉栄 <大久保より>「1月26日、日曜日を期して、同行10人ばかりで郊外散歩に出掛けた。……古河力作の墓……管野須賀の墓……染井の墓地に新村忠雄と奥宮健之の墓…(調査書記載無し)…2月2日、秋田行、坂本清馬……同行崎久保静江……2月9日、近代思想第2回小集」『近代思想』3月号

1913 3月 『近代思想』3月号掲載、大杉栄テキスト<羞恥と貞操>評論<青鞜社講演会>批評<怪物>小説<2月の小説>批評<大久保より>雑録

1913 3月22日 近代思想社寄稿家招待会 日本橋メーゾン鴻巣

1913 3月23日 堺と共に横浜滞在ベルギー副領事、ゴールベールト訪問

1913 3月28日 大杉栄 <編集室より>『近代思想』4月号

1913 4月 『近代思想』4月号掲載、大杉栄テキスト<社会か監獄か>詩<創造的進化>評論<腹がへったあ!>対話<超人の恋>評論<編集室より>雑録

1913 4月16日 日比谷公園内霞亭、同志集会 日比谷公園機械体操場の茶屋、堺利彦、野澤重吉の発起 平民会 集まる者40余名

1913 4月22日 大杉栄 <大久保より>「同人講演会、青年会館から会場貸与を断って来た………一士官学校生徒があった……その軍人が二三日前に、危険思想を持っていると云う理由で、もう来月卒業と云う処を、退校を命ぜられて了った。死んだ横田兵馬も幼年学校を卒業する間際に、矢張り危険思想のかどで退校させられたのだったが、その後アナーキストになった。……19日の夜、近代思想社第4回小集を、例の鴻の巣に開く。12名参加……16日午後、日比谷公園機械体操場の茶屋で、堺利彦、野澤重吉の発起で平民会と云うものが催された。集まる者40余名……5銭の会費でみかんとせんべいとすしを食って、斎藤兼次郎の尺八、添田平吉のよみ讃り歌、蓄音機と云うような余興で、半日遊び暮らした」『近代思想』5月号

1913 5月 『近代思想』5月号掲載、大杉栄テキスト<何が新しいんだ>批評<大久保より>雑録

1913 5月 大杉栄 <大久保より>「前号に書いた、士官学校を退校させられた人から、手紙が来た………」『近代思想』6月号

1913 6月 『近代思想』6月号掲載、大杉栄テキスト<征服の事実>評論<チョット面白い>批評<「女学生」>批評

1913 6月 大杉栄 <大久保より>「5月は社の都合で小集を休んだ。そのかわり本月は、人数もいつもよりは多く、随分にぎやかな会だった。……実はこの会の記事をどう書こうかと困っていたのだが、幸いにも暮村居士から前期の記事を送って来てくれた。……集まる者……久板卯之助…16名」『近代思想』7月号

1913 6月7日 横浜、サンフランシスコ行きの山形県人登坂高三を見送る

1913 6月7日 近代思想社寄稿家招待会 日本橋メーゾン鴻巣

1913 6月29日 同志茶話会、藤田四郎方、

1913 7月 『近代思想』7月号掲載、大杉栄テキスト<新しい女>感想<生の拡充>評論<中村星湖君に答ふ>批評<大久保より>雑録

1913 7月6日 シンヂカリズム研究会(藤田四郎方)を開き、出席者15名、大杉は「シンヂカリズム」を実行し来れる歴史及方……一時間に渉り説明

1913 7月22日 大杉栄 <大久保より>「鴻の巣が麹町の隼町にひっこしした。12日に、そこで、第6回小集を開いた。集まるもの、お客の長谷川天渓氏の外に同人15名。荒畑と僕と発起して、本月の始めからセンヂカズムの研究会を始めた。もう2回会合をしたが、毎月二回づつ、二人で講演をやる筈だ。」『近代思想』8月号

1913 8月 『近代思想』8月号掲載、大杉栄テキスト<むだ花>感想<大久保より>雑録<新刊>批評

1913 8月3日 大久保百人町、大杉方、大杉「今後シンヂカリズム研究会を自宅において開催」、平塚明子、木村駒子、宮崎光子等とも協定

1913 8月中 大杉栄、上海の状況を聴く[調査書]

1913 8月17日 大杉宅 シンヂカリズム研究会 安成二郎と問答、総同盟罷工、佛国に於ける無政府主義者は……

1913 8月   大杉栄 <大久保より>「生方敏郎を訪ねる、小川未明、相馬御風を訪ねる。センヂカズム研究会は、神田のあるミルクホールの二階を借りてやっていたのだが、……そこの主人を呼びつけて……お前は今から検束して了う、……寒村が本号に訳す筈であった『婦人解放の悲劇』は、青鞜社の方でも9月号に出すそうだからお譲りする事にした」『近代思想』9月号

1913 9月 『近代思想』9月号掲載、大杉栄テキスト<野獣>感想<鎖工場>評論<みんなが腹がへる>感想<イグノラント>批評<大久保より>雑録

1913 9月7日 シンヂカリズム研究会同志16名参会、ベルギー滞在中の同志石川三四郎の「サンジカズムの激進」(萬朝報掲載)に対し評論

1913 9月20日 藤田四郎方、同志茶話会

1913 9月    大杉栄、発病 

1913 9月    大杉栄 <大久保より>「本月は芸術座講演会を利用して、13日の夕方、更に安成二郎を援兵に乞ひ、……青年会館の門前で400部あまり、配り散らした……」『近代思想』10月号

1913 10月 『近代思想』10月号掲載、大杉栄テキスト<生の道徳>評論<大久保より>雑録

1913 10月5日 大杉宅 シンヂカリズム研究会 会する者総て13名、大杉は講話「資本家と労働者」 

1913 10月19日 荒畑方 シンヂカリズム研究会 大杉は出席という記述のみ

1913 10月22日 大杉栄<大久保より>「丁度桂の死んだ11日の夜、京橋元数寄屋町の富嘉川で久しぶりで社同人の小集を催した。……集まるもの15名……」『近代思想』11月号(調査書記載無し)

1913 11月 『近代思想』11月号掲載、大杉栄テキスト<大久保より>雑録

1913 11月2日 荒畑方 シンヂカリズム研究会 大杉の談話、シンジカリズムを論議したる書籍…  1913 11月16日 荒畑方 シンヂカリズム研究会 大杉の談話、萬朝報の華山の論への批評

1913 11月28日 寒村 <大久保より>「大杉が器官を悪くして……7日、大杉、堺、橋浦、二郎、僕、それに故人の親戚友人10人ばかりで、山本飼山の遺骸を落合の火葬場に送った。…僕等5人だけ分れて、帰途、焼芋屋へ上がり込んだ。……盛岡は出獄して間も無く、発狂して自殺し、山本は早稲田大学を出ると、ぢきに今度の最後を遂げて了った。……」『近代思想』12月号(調査書記載無し)

• 12月 『近代思想』12月号掲載、大杉栄テキスト<必然から自由へ>評論

• 12月22日 大杉栄<大久保より>「……医者の厳

命によって、まだ床に就いている。……師復という人から、エスペラント文の手紙が来た。…」『近代思想』1月号

1914 1月 『近代思想』1月号掲載、大杉栄テキスト<生の創造>評論<時が来たのだ>批評<大久保より>雑録

1914 1月18日 荒畑方 シンヂカリズム研究会 雑談、荒畑「自分の論文に堺が批判した事」、大杉、堺批判を為す

1914 1月23日 大杉栄 <大久保より>「この8日にまる二月目に床を離れて、4,5日間葉山に遊びくらした。そしてまだ多少鋸っていた病勢を全く振い落して帰って来た。……とうとう本月も行数の計算をするだけで済まして了った。……で、近日僕の一家は、当分何処かの海岸へ転地する積りだ。……暮れと正月二回休んだセンヂカリズム研究会は、この第三日曜の18日から始まった。次回即ち2月1日から数回に亘って、寒村はサボタージュ論を、僕は直接行動論をやる。……」『近代思想』2月号

1914 2月 『近代思想』2月号掲載、大杉栄テキスト<再び相馬君に与ふ>評論<大久保より>雑録

1914 2月1日 大杉方 シンヂカリズム研究会 出席者、斎藤兼次郎、福田武三郎、有吉三吉、相坂佶、橋浦時雄、百瀬晋、堀ヤス、荒畑勝三、竹内たま、安成二郎(上記二名未編入者)及本人の11名

1914 2月6日 鎌倉町字坂ノ下22に家を借り受ける

1914 2月15日 荒畑方 サボタージュ研究会出席(調査書の誤記)

1914 2月15日 大杉栄 <大久保より>「尚僕は堀保子と共に、此の6日に鎌倉坂の下22に転居した。そして社へは寒村一家が、寒村のあとへは二郎一家が来た。僕は毎月一日及び十五日の前後2,3日は社或は売文社にいる。」『近代思想』3月号

1914 2月20日 大杉栄、入京 荒畑方宿泊

1914 2月22日 築地精養軒 近代思想、生活と芸術 執筆者晩餐会 同夜鎌倉に戻る

1914 3月 『近代思想』3月号掲載、大杉栄テキスト<叛逆者の心理>評論 パラント 大杉栄訳

1914 3月3日 大杉栄、上京、堺、荒畑を訪れる、

1914 3月7日 鎌倉に百瀬晋と荒畑来訪、百瀬は30日に退去、荒畑は二泊

1914 3月15日 荒畑方 シンヂカリズム研究会 獨逸人「ローラー」の直接行動論の一部労働時間の短縮に付き講話

1914 3月 呉塵は修学の目的を以て渡来入京…本国在住当時1913年頃上海付近に於て無政府主義者師復の経営に係る機関雑誌「海鳴録」(後「民声」と改題)を購読し且つ師復と交際を結び共に主義の伝道に熱中したることあり本邦渡来後早くも在京大杉栄等と懇親を結び1915年7月20日長崎市に移居同年8月中上京の際8月15日大杉の主催せる「平民講演会」に出席し尚長崎に転居以来は常に同人と書信を往復する等密に中央同志と連絡を保ち殊に1916年1月以来大杉の紹介に依り深町作次と交通して主義的意見を交換しつつあり又同年2月26日『民声叢書の一、無政府浅説、無政府主義名著叢刻、民声(海鳴録共)26号迄』の書籍を書面(中国文)と共に某友人宛送付したる模様あり…………

1914 3月   寒村 <大久保より>「題は『大久保より』だが、実は京橋の売文社で、校正をやり乍ら書くのだ。21日の朝、青年会館に故平出修氏永訣式があって、社からも大杉、僕、二郎などが往った。当日堺は弔文を朗読する筈だったが、遂に姿を見せない。後で聞いたら、日を間違えて居たんだそうだ。帰りには長谷川天渓、相馬御風、馬場孤蝶、土岐哀果の諸君と一緒に、神田の常盤で昼飯を食った。天渓御風2氏に別れてから、或るカフェに入って、堺と貞雄とを電話で召集し、一行7人夜おそくまでヨタリ歩いたので、馬場氏はお客に待ち呆けを喰わせ、土岐は音楽会に往き損い、大杉は鎌倉へ帰り損って了った。……百瀬晋は売文社を飛び出して、今は鎌倉の大杉の処に居る……」『近代思想』4月号

1914 4月 『近代思想』4月号掲載、大杉栄テキスト<主観的歴史論>評論

1914 4月2日 大杉栄、帰宅

1914 4月15日 荒畑方 シンヂカリズム研究会 前々回(3月15日開会)に引続き講話、「資本家と軍隊・警察、労働者」

1914 4月    寒村 <大久保より>「大杉夫妻の病気は、此の頃大分よくなった。そして大杉は『近代思想』に書いた論文と、外2,3の雑誌に載せた物とを纏めて、近々某書肆から出す筈で、目下その整理にかかって居る。………」『近代思想』5月号

1914 5月 『近代思想』5月号掲載、大杉栄テキスト<知識的手淫>告白<正気の狂人>評論<『婦人解放の悲劇』>批評

1914 5月27日 大杉栄 <大久保より>「……此の雑誌のあまりの馬鹿々々しさに、もうとても堪えられなくなった……僕等自身の手淫的満足と、同志の間の連絡維持とは、多少果たす事が出来た。しかし僕等は、アナルシストとして又はセンジカリストとして、積極的には何事もしていない。……労働雑誌の創刊を企てた……僕は、鎌倉の土地にあきが来たのと、……此の月末に、もとの大久保の家即ち社に帰って来る。社には今寒村がいるのだが、寒村は社の隣のもとの家にかえる。そして其処に入っていた安成二郎は、何処か近所にひっこす事となった。」近代思想』6月号

1914 6月 『近代思想』6月号掲載、大杉栄テキスト<寄付金募集>広告<新刊>批評<大久保より>雑録

1914 6月15日 シンヂカリズム研究会 大杉の談話、「イタリアのストライキとマラテスタ」

1914 6月25日 大杉栄 <大久保より>「……『新潮』の中村武羅夫君が、一昨日のひるすぎ生田長江君と一緒に僕を訪ねて来た。……とうとう9時間ばかり話がはづんだ……」『近代思想』7月号

1914 7月 『近代思想』7月号掲載、大杉栄テキスト<寄付金募集>広告<賭博本能論>評論<銅貨と銀貨とで>感想<大久保より>雑録<新刊>批評

1914 7月1日 シンヂカリズム研究会 会する者13名(内未編入者4名)雑談、斎藤兼次郎「オーストリア皇儲の暗殺……」大杉は「爆裂団は何でも堅い処に当てなければ破裂せぬと云うが……外国の天皇は日本の様な馬鹿な取締をなさんが実に勇気がある云々」

1914 7月15日 シンヂカリズム研究会 吉川守国以下10名(内未編入者2名)、大杉は去る13日乃至15日の萬朝報紙上に佛国の同盟罷工と題する在ブラッセル市…石川三四郎の寄書に依ればマラテスタは想像の如く…単純なる同盟に非らずしてレボリューションの目的を以て蜂起したるものなることを知りたりとて其の所以を説明し更に……

1914 8月1日 シンヂカリズム研究会 会する者9名、(内未編入者2名)雑談、大杉は来たる10月発行せんとする雑誌に関し談話

1914 8月15日 シンヂカリズム研究会 大杉は雑談「非戦論…日本が米国に敗けて呉れればよいそうしたら大変自由に成るだろうと言うたら……」

1914 8月 『第三帝国』に寄稿の「欧州の大乱と社会主義者の態度」が「安寧秩序を妨害するものと認められ其の発売頒布を禁止せらる

1914 8月27日 大杉栄 <大久保より>「いよいよ廃刊号を出す事となった。……僕等の新しい雑誌は『平民新聞』と名づける事にきめた……しばらく来なかった下痢と風とに襲われて了った。そして13日から19まで寝て了った。20日の朝は、起き上がって書き始めようと思っていたが、こんと。は保子が風にかかって起き上がれない。僕は早速参考書を10冊ばかりりカバンにつめて葉山へ出掛けた。しかし葉山の3日間は、只大体の筋をつくったのと、………僕の論文集『生の闘争』が9月中旬に新潮社から出る。……同じく9月中旬、新潮社の新潮叢書の一篇として、僕の翻訳ダアインの『種の起源』が出る。それから、これも9月中旬頃、実業之世界社の新智識叢書の一篇として、僕の翻訳ギュスタヴ・ルポンの『物質非不滅論』が出る。…本月16日発行の『第三帝国』に僕の『欧州大乱と社会主義者の態度』が載った。そして『第三帝国』は、僕の外に2,3の原因はあったそうだが、発売禁止になった。………」『近代思想』9月号

1914 9月1日 シンヂカリズム研究会 大杉、談話「資本家の愛国心、普佛戦争、アルサス、ローレン」

1914 9月1日『近代思想』9月号掲載、大杉栄テキスト<『生の闘争』序>感想<文壇の唯一者>

批評<妄評多謝>批評

<名判官>小説、大杉栄訳<大久保より>雑録

1914 9月15日 シンヂカリズム研究会 例会日なりしを以て夕刻より吉川守国、橋浦時雄、斎藤兼次郎、百瀬晋、有吉三吉、久板卯之助等の同志参集して大杉の帰来を待ち居りたり……講話を辞し……談話、
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by tosukina | 2011-09-28 08:46

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