大杉栄

大杉栄『自叙伝』土曜社発行 2011年9月16日其の七

1919 1月1日 大杉栄は自ら主催者となり……有吉三吉方に同志の新年宴会を開催せり出席者は大杉以下19名にして席上大杉は<本年は革命の新年を迎えたるが如き心地す、日本も非常なる変化が来るにあらざるやと想像せらる併し想像なればあてにならざるも又あてになる様な気持もするを以て我々も一層運動せむと考え云々>と述べ夫れより酒食をなして散会せり

1919 1月15日 大杉一派の研究会は近藤憲二等の主催し来りたる北風会と合同することと為り有吉三吉、高田公三、近藤憲二主催名義を以て1919年1月15日午後6時より小石川区指ケ谷町92番地若林ヤヨ方(北風会会場)に開催出席者26名にして有吉三吉立て従来自分宅に於て月二回(1日15日)若林方に於て月二回(第一第三日曜)併せて四回会合し来れるか会合者は殆同一なるを以て北風会主催者及大杉等相談の上自分方の会合を廃し自今渡辺方にて毎月1日15日二回会合することに決定せり尚今後会同者は出席毎の会費以外に一カ月二十錢位を出金し若林方の家賃を補助すると共に同家を同志の倶楽部と為し主義に関する書籍を備附し図書館的のものとしたし又本会は理想的に主義の研究を為すと講演会とに止め一切実際運動は為ささること実際運動を為したき人は各自随意に為すことにしたし次に講演者は大杉、高畠、堺の諸君に依頼し或いは会合者中のものより意見を発表することとせんとす諸君の意見を問うと処へ有吉の主張の如く左の諸件を協定せり

(1)自今若林方に於て1日15日の二回会合すること有吉方の会合を廃止す

(2)若林方を同志の倶楽部と為すこと

(3)倶楽部は会員組織とし会費を徴収して若林方の家賃に補助すること 但し会員名簿は作製せさること

(4)主義に関する図書を蒐集し閲覧随意とすること

(5)会の世話人は三名とし毎月交替とすること

但し第一回の世話人は有吉の指名にて村木源次郎、吉田一、松本某と決定

 以上協議事項終了後……普通選挙運動論……

○前記北風会と合同せる主義者の研究会は所謂硬派軟派の混合にして果して成效するや否や疑わしと同志の前部の者は批評し又図書蒐集に就ては大杉は殆と蔵書なきを以て之を同志中より借り集めむとするものの如きも主義に関する書籍の多くは禁止出版物なるを以て公衆に閲覧せしめ押収せらるることなきやを危惧し出品を難んする色あり傍決議事項の近接は困難なる状況にあり

1919 1月20日 1918年9月23日頃発行の雑誌『民衆の芸術』中に恵まるる政治及生の反逆と題したる記事は安寧秩序を紊乱するものとして1919年1月20日東京区裁判所に於て罰金100円の判決を言いわたされしか其後控訴の結果同年3月17日東京地方裁判所に於て無罪の判決言渡しを受けたり

1919 1月26日 堺利彦等の経営せる売文社に於て群馬県在住同志蜷川直枝と会合し相携えて黒瀬春吉方に於て酒食し転して吉原に遊興宿泊せるか翌27日本人の住宅は火災に依り類焼せるを以て伊藤ノエ等と共に一時同志山田齋方に仮寓せしか程なく一戸を構え移転せり

1919 1月27日 北豊島郡日暮里町に移転

1919 2月1日 ○若林方に前記合同の主義研究会を開催せり出席者28名にして堺利彦は欧州各国の労働及革命運動に関し講演を試み次に本人(大杉栄)は堺の講演の労を謝したる上「講演の趣旨に就ても反対すへき点なきも同君か今夜御招きに預て来たと称せられては如何にも他人行儀なり云々」と述へたり次て………

1919 2月3日 大杉、伊藤、北豊島郡滝野川町大字西ヶ原に移転

1919 2月15日 北風会及大杉等の合同に係る主義者の会合は例会を荒畑勝三、山川均両名出獄歓迎会と称して開会し山川は病者の為不参出席者31名にして荒畑は「英国の労働組合条件復旧問題」に関し講演を為し次に…大石七分…吉田一、延島英一等の感想談あり……

1919 2月15日 ○会費 24名

近藤憲二 ■■■新之助 荒畑勝三 村木源次郎 水沼辰 日吉?春雄 江渡富三郎 有吉三吉 吉田一 ■本智雄 中村還一 高田公三 斎藤兼次郎 ■田新太郎 ■隆三 幸内久太郎 延島英一 添田平吉 吉川守国 野村英治 以上主義者

1919 2月23日 〇吉田一、発起小集会に出席

1919 3月1日 〇合同の主義者の例会 大杉の発言「久板の出獄」 不日久板卯之助が出獄するに付可成多数出迎ありたし久板は罰金三十円の労役を勤むる筈なりしも京都の同志山鹿泰治が送付し呉れたる為罰金を納付し出獄することとなれり山鹿は熱心なる無政府主義者にして今回も京都に於て印刷物を出版し拘引せられたるものの如く新聞には種々記載しあるも詳細は判明せず云々

 次に衆議院に於て政府に社会主義者取締の質問を為したる代議士鈴木富士■より書面あり近々議会に於て更に一大演説を為さむとするに付其の資料として従来政府より受けたる言論出版の迫害事実を詳しく通知し呉れとのことなり依て余は其の返事に君は社会主義にも種々あり………図書館創立委員会

1919 3月9日 黒瀬春吉 月刊資本と労働 「労働問題引受所」

1919 3月15日 <状勢>久板卯之助出獄歓迎会、荒畑は前回講演を継続(英国労働組合条件復旧問題)、大杉は自己は「無政府主義的新労働組合主義」なることを述べる

1919 3月 呉塵、帰国 長崎医学専門学校に在学せる中国人無政府主義者呉塵は通学の余暇主義の研究を為し其の後<レーニン>一派の露国過激派の主義に賛同するものの如くなりしが1919年3月同校を卒業し3月25日同地を引払い………青島民政部済南医院に就職を願出でたる事実あり

1919 4月3日 大杉栄は神武天皇祭を卜し同志の観桜会を開催せんとし吉川守国、中村還一、近藤憲二、吉田一、斎藤謙次郎、水沼辰、山崎今朝弥等世話人名義の下に同志に案内状を発せり……北豊摩郡滝野川町大字西ヶ原313番地なる大杉方に20数名の同志集合し酒食を為し一同大酔の上午後3時頃其の内17,8名は浅黄色方二尺許りの旗を押し立て(旗には羅馬字AWの二字を赤布にて縫い付けあり無政府主義に関する標章なるが如し)飛鳥山に至り革命歌を高唱し演説様の戯態を為し大杉方に引揚げたり(附記)同夜一同大杉方に引揚げたる後大杉以下13,4名の同志は王子警察分署に出頭し同志中私服警察官に殴打せられたるものあり其の当事者の責任を糺されたしと申立たるも其の事実なく署長より懇諭せられ一同引取りりたり

1919 4,5月頃 深町作次、山鹿泰治の秘密出版事件に関し家宅捜査を受ける、<経済時報社>経営に従事し居り同社の印刷機械、活字購入等の為内地に来往し其の際当時長崎市に在留せし中国人無政府主義者呉塵と往復せしことあり

然るに1919年4,5月頃無政府主義を鼓吹せる秘密出版物『平民の鐘』及『革命歌』を上海に於て日支新聞社並邦人経営の著名なる銀行会社等に宛同地日本郵便を以て配布したるものあり深町は之に関係せるやの疑いありりしを以て同地日本官憲に於て本人の家宅及印刷所を捜索したるに無政府主義に関し次の出版物を発見押収せり

一、平民の鐘(漢訳) 一、無政府議説 一、無政府主義 一、破神執論 一、軍人の宝筏 一、総同盟罷工 一、世界風雲 一、民声社記事録 一、民声叢刻第一集 一、伏虎集 一、実社自由録

右冊子は上海に於て中国人無政府主義者師復の経営せし民声社より2,3年前継承せるものなりと云う右冊子中民声社記事録(1917年4月1日発行)中『日本無政府党の近況』なる題下に山鹿泰治の報道を記述せる箇所あり而して本件『平民の鐘』及び『革命歌』は山鹿泰治が秘密出版せること判明せり

1919 4月1日 <状勢>北風会例会の席上久板は「如何に千万の労働組合を作るも無政府主義の自覚なき組合ならば革命に何等の用を為さざるのみならず革命の機を失わしむるものなりり云々」と述べたり

1919 4月2日 吉田一方 労働相談部茶話会 大杉、開催

<状勢>同志吉田一方に於ける「労働問題茶話会」例会に大杉栄は同志黒瀬春吉、五十里幸太郎、久板卯之助、近藤憲二の5名と共に労働同盟会(黒瀬春吉の主唱せるもの)の印絆纏を着用して出席せり <調査書>大杉談話労働者は労働者同志相団結して初めて真の勢力を生ずるものなりて

1919 4月3日 観桜会

1919 4月15日 若林方 大杉一派に属する主義者の例会を開催し、演説

1919 4月16日 浅草貸席江戸家 黒瀬春吉主催 労働問題演説会に出席

1919 4月20日 北豊島郡南千住町 吉田一主催に係る 労働相談所茶話会 出席

1919 4月21日 ○府下北豊島郡王子町所在王子演芸館に於て杉原正夫の主催に係る労働問題演説会に出席し居たるに下村の演説中社会主義を論難する如き口吻ありしかは大杉栄、久田卯之助、石井鉄治、吉田一、延島英一等数名は演壇に押寄せ延島の如きは演壇にありしコップを投げ付くる等暴状を敢えてし大杉は主催者の許しを得て自ら演壇に立って下村の説を反駁し且つ自己は社会主義者にあらす自己の主義は他にありて先つ労働者の生活改善を為さむとするにあり労働者は今日の生活即ち時間の制限賃金の要求工場の設備を改善せしむるに在りと述へて壇を下れり

1919 4月22日 ○石井鉄治等をして雑誌『労働者』を発刊せし

めしか之より先本名(大杉栄)は黒瀬春吉を訪ひ近来実際運動に遠り居るを以て一味の同志は離散する虞れあるに付之か予防策として石井鉄治、中村還一、吉田一等に金十円宛の資金を与うえく苦心し居れるも金策意の如くならさるを以て何分の援助を頼みたるに付黒瀬は故実父知己なる東京瓦斯株式会社々長久米良作を訪ひ雑誌『労働者』の広告料として金三十円を貰い受け来りて之を大杉に交附せるに其後石井鉄治に十円を交附したるの外残余は自己に於て消費せるにより同志の反感を買い居るなりと

1919 4月23日 ○以降大杉は内縁の妻伊藤ノエと共

に千葉県東葛飾郡葛飾村大字小栗原、斎藤仁方に移転し… 

1919 5月1日 若林ヤヨ方大杉一派に属する主義者例会を開催したるも当夜は大杉以下多数が神田青年会館に於ける東京毎日新聞社主催労働問題演説会の傍聴に赴き出席者出席者十五名なりしを以て何等纏りたる談話なく黒瀬春吉の労働運動を批評して散会したり

1919 5月4日 ○横浜市磯子町偕楽園に開催したる京浜間特別要視察人の遠足会竝に集会に出席したり右は神奈川県編入小池潔、中村勇次郎等か旧交を温むる意味にて遠足会を催したるものにて何等の意味なしと称し居れるもどうげ5月4日偕楽園の会合に於ては左の決議を為したるものの如し

 東京に於て堺利彦『新社会』高畠素之『国家社会主義』山崎今朝弥、山川均執筆の『社会主義研究』は各機関雑誌を発行せるを以て在京同志間の消息を通せさる地方主義者間に於ては大杉も亦此等の者に共鳴行動共にす■ものと思椎せらさるは遺憾に付同人の機関雑誌を発行し之か誤解を説くと一方には地方地盤の開拓の為さんとし吉田一らをして之か実行を為さしむ■■とに決し既に若干の資金……を同地に於て調達したりと而して右雑誌は東京に於て出版するときは容易に発見■■■■を以て横浜に於て適当な出版所を選定せりと而して横浜に於ても月一回位同志の会合を催すの計画を為したりと(神奈川県編入小池潔、中村勇次郎名簿参照)

1919 5月15日 神田青年会館内 開催 黒瀬春吉主催 労働同盟会演説会に出席

1919 5月15日 若林方 主義者例会に出席 荒畑講演

1919 5月20日 南千住町 吉田一主催 「労働相談所」茶話会に出席演説「英国労働界の状況……」外国よ来りたる新聞記事中に面白き事項ありとて英国労働界の状況を述べ英国当りにては8時間労働の如きは既に過去の問題にして現在に於ては6時問題に移り之を調査する為資本家より400人の委員を出し居れり然れども若し此の6時間問題が通過するときは次には4時間、5時間の問題提起………英国労働者は多年運動の結果今日までは短時間の労働にて多くの賃金を得居れり或は時間問題を解決し終れば次には資本家の鉱山なり其他の生産機関の引渡を迫るなるべし……

1919 5月25日 午後3時 千葉県葛飾村 富士山三郎方物置場前

同村駐在巡査安藤清か巡回の際大杉は他の尾行巡査に対する余憤を以て同巡査を鉄拳を以て左頬を殴打 治療十日を要する傷害を加えたる……7月23日 午後5時拘引状を執行 …8月4日東京区裁第四号法廷に於て尾立判事の係りにて開廷せるか大杉は左の如く自白せり「…尾行は恰も犯罪人を取扱うか如き遣り方にて……家の中まて来たりたる…再三其不都合に対し注意を与えたる而も又今回家の中に来り種々煩さく問いたるを以て殴打したり云々」

1919 5月28日 亀戸町寄席長楽館労働同盟会演説会に出席

1919 5月29日 午前9時頃より村木源次郎と共に東京監獄に至り在監中の和田久太郎に面会し和田の実父が病気危篤の旨を告け且つ和田及延島英一等に対し差入を為したり

1919 6月1日 若林方 大杉一派に属する主義者例会に出席 演説「…労働運動の精神」の序論を述べるとして労働運動とは労働時間の短縮賃金の増加及労働者の生活を向上し生物としての生活を為さむとする等にあるも是等の諸問題は未だ自覚せざる時代の労働者の希望にして此の程度のものは資本と労働の調和位の所なり真の自覚したる労働者の希望は此の以外に精神的な希望あり之即ち近代思想にして之を分ちて二となす一つは自意識とも称すべく自由とか自治とかを欲求するものなり一つは社会心理とも称すべき現代の社会制度を調査することにて之を調査するときは社会の欠陥を明にし全ての社会は平等なるものなることを知るを得べし此等が労働運動の精神と為りたるものなり云々

1919 6月2日 南千住町 吉田一方 開催「労働者相談所」例会に出席

1919      大杉は目下「クロポトキン」の自伝を翻訳中

1919 6月7日 横浜市戸部町2丁目47番地 吉田只次方に開催したる京浜間特別要視察人の主義研究会に出席 尚大杉は小池潔と会談の上労働相談所を設け労働期成同盟会なる看板を掲出し且つ出版物をも発行することとしかり <状勢>京浜同志定期会合、第一回 横浜市戸部町 大杉栄以下在京同志4名……「横浜労働問題期成同盟会」を設置する 

1919 6月15日 若林方 大杉及び近藤憲二等の主催に係わる主義者定例集会(研究会と北風会と合同したるもの)に出席し「労働者の自治的運動」と題し演説 本題は前回講演せる続きとも称すべきものとにして前回は労働時間の短縮とか賃金増加と云うが如き物質的方面を説明せしが本題に於ては精神的方面を説明せんとす換言すれば近代思想が労働運動の精神となるべきものなり更に之を譯言すれば自我の発達にて労働者も自己の人格を認められたしとの要求なり生活も人間らしき生活を為したんとの要求なり人に支配せられず自分のことは自ら治めんとする要求なり現在に於る労働者なるものは全く人格を無視せられ居るにあらずやとて精神的方面に於ける労働者の要求を委細説明したり

1919 6月18日 大杉栄、伊藤野枝、両人共上京同夜は指ヶ谷町92番地若林ヤヨ方に止宿せるが翌

1919 6月19日 19日本郷区駒込曙町13番地室田景辰貸家に移転したるか家屋主は6月末日迄茂木(久平)に猶予(本家屋は曩に茂木久平に貸与したるも家賃二ヶ月分滞納せるより家主「六月末日限立退迫られ居りし」か茂木は六月十日他に移転したり)したる期間中一時居住するもならんと思料し居たるに其後大杉は引続き居住し家主より厳談立退を試みしも移転の模様なきより弁護士勝目新平に依頼し7月2日大杉に対し不法占拠明渡訴訟を東京区裁判所へ提起せらる
1919 6月25日 巣鴨監獄へ入監の延島英一は9月24日刑期満了したるを以て大杉等は之か出獄出迎えを為せり

1919 7月1日 若林方 大杉一派に属する北風会例会を開催し雑談合議 25名出席

国際労働会議へ労働者にして代表し得る者を派遣するか或は労働を理解し得る者を代表員として派遣するかの二つなり要するに二途何れにせよ労働者には労働者特有の純真なる感情あり此檄情が課しるものありとするも永き間虐げられ踏み躙られて育ぐまれたる感情にて之れ労働者の……資本家に対する反跋権力者に対する反逆的感情は悲惨の生活を内に自ら生したる者にして故に労働者の持つ感情として少なくとも権力階級資本家階級を加われし会議には列席する事は拒否すべきものにして真に労働を理解する者を派遣するに於ては政■■一任するも可なり云々と述べ代表者派遣に反対せり……

結局何等の決定を見ず茶菓雑談後午後十一時半散会し…

1919 7月4日 吉田只次は「労働問題講演会大杉栄出演云々」の建看板を市内戸部町二丁目表通に提出したるを以て所轄戸部警察署に於て本人を召還し……

1919 7月7日 著作家第一回総会に出席 僕は近来日本に労働問題が盛にやかましくなって来る原因及労働問題が日本政府資本家是等の御雇の学者などの問題に叫ばれて居る之が最近一年以来の話である日本の労働問題が叫ばれて来たのは十年二十年にもなるが真に労働問題を叫ぶ様になったのは実に昨年以来の事である其の問題を叫ぶ人々は此の労働問題と云う事に余り注意を向けて居ない人々に叫ばれる事になったのである之には原因がある第一に闘争に依て景気のよい事と物価の騰して景気がよいと云う事である成程もーかる人々はよいが国民の大部分の労働者は生活の不安に陥り即ち此の不安が根本的の原因である。

 政府や資本家が近来……

1919 7月15日 神田青年会館 日本労働連合会演説会に出席 

会場を紛乱せしめむか為め喧噪に渉りたるを以て神田錦町警察署へ検束に附せられし午後10時40分解除せられたり

1919 7月17日 東京地裁検事局帰宅後の言動を偵察するに大杉は今回の犯罪事件を意に介せさるものの如く却って同志弁護士山崎今朝弥を代理人として警視庁正力刑事課長竝美に拘引されたる記事掲載の各新聞社を相手取り名誉毀損、損害賠償の訴えを提起する等豪語し居れり……

1919 7月17日 京橋区貸席川崎家に開催 服部浜次主催 労働問題演説会に出席

解散を命せしか大杉栄等同志2,30名不逞の言動を弄せし…大杉栄等外15名は所轄築地警察署に同行の上検束に附せらる 午前3時頃迄革命歌の歌を高唱

1919 7月20日 検事局へ書類送達と共に同行

1919 7月20日 吉田一方 労働者茶話会例会に出席

1919 7月25日 <状勢>臨時会を開催、労働団体、運動に対する同志の態度、荒畑出席

1919 8月4日 大杉栄は……巡査…殴打傷害…8月東京区裁判所に於て本件公判の際荒畑勝三以下十数名の同志傍聴の為集合したるも傍聴席狭隘なし為同志の過半数入場すること能わざりしに憤慨し荒畑其の他数名の同志は外部より法廷の扉を乱打し「何故に入場せしめざるや」「秘密裁判か」「大杉こんな裁判に服従するな」「警察と裁判とぐるになって居る」等と怒号し已まさるを以て裁判長は椅子を増置し一同を入廷せしめたり大杉は茶を乞扇子を使用し極めて不遜なる態度を以て自己の無政府共産主義者なること等を陳述し次て検事の論告に移らんとするや裁判長は大杉に対し起立を命じたるに之に応ぜざりき次て同月9日傷害罪に依り罰金50円の言渡しを受け同月11日保釈出獄せり

1919 8月9日 傷害罪罰金50円

1919 8月10日 伊藤野枝宛「知れてはいるだろうと思うが、念のために言っておく。保証金弐拾円で保釈が許された。今日は日曜で駄目だろうが、明朝早くその手続きをしてくれ。」

1919 8月11日 午後3時55分 保釈出獄 4時30分 駒込曙町13番地なる仮住所に帰れり 検事は即日控訴

1919 8月   山崎今朝弥等が開催せし平民大学講演会に関する在京主義者の感想左記の通り「機関新聞を発行すると共に大運動を開始する筈にて近藤憲二、和田久太郎、中村還一、高田公三等を纏め尚荒畑勝三、吉川守国、山川均等の後援を仰ぎ■と交渉せる模様なるか吉川守国は熟考の上回答する事とし荒畑は吉川に書簡を以て大杉の申し込みを承諾せは山崎今朝弥との雑誌の発行を■るの外なく既に再三交渉を重ねたるものを■■は如何か又大杉近来の行動は今後注意を要するものなれは御一考を■■しと申来たりたるは不調ならしも大杉等は近来自分等の方針に向ひ……」

1919 8月12日 午後8時頃 日本労働組合事務所に井上倭太郎を来訪3時間に渉り会議せるが其内容は大杉より日本労働組合の主義目的実行手段尚同組合が本年9月頃より開始せんとする講演会に出席の承諾を求めたること近々同組合が主宰となり友愛会を除外したる労働団体有志等に於て友愛会長鈴木文治の行動に対する批判の為め京阪地方に遊説の計画に■れ信友会中の同志をも参加せしめられたきこと

 同組合は篠澤勇作なるものより金一万円の資金供給を受けたるは労働運動の目的に反せざるや否やとの要求或いは質問を為したるより井上は講演会出席の件は承諾し組合主義目的実行方法を説明したる後更に大杉の主義目的実行方法等を反問をしたるに大杉は無政府共産主義なるも実行方法に関しては確信なしとて言明を為ささりしとのことなり尚大杉は8月16日午後8時頃再三来訪せしも井上不在なり……又8月8日主義者黒瀬春吉は山口正憲同伴井上を来訪自己等が計画しつつある国際労働会議に出席せしむべき労働委員の選定に付き同一歩調を採られたしと申出たるも井上は若し鈴木文治が其選に当たるとせば反対なるも其他の件は明言し難しと答えたる由なり

1919 8月15日 大杉と和田の出獄歓迎会、立つ人なり理想的に事実を考え論議せられん事を望むと云い高田公三は絶対破壊説を執り和田久太郎は学者資本家貴族政府の加わる労働運動は之れを破壊し他の純粋なる運動は内部に立ち入り改造すると主張せり 若林方大杉及和田久太郎の両名出獄歓迎会を兼ねたる北風会例会に出席し談話 我々の中にて破壊運動反対者として荒畑、中村の二君あ此の二氏は何時も反対側に立ち…<状勢>席上大杉は自己に対する科刑軽く且保釈を許可せられたるは彼の威嚇運動(荒畑勝三其の他の同志公判廷に於て暴言を吐き騒擾を試みたるを指す)奏効したるものにして将来も傍聴人の義務として活動せられたしと述べたりり次で前回に続き労働団体及之が運動に対し破壊運動を為すの可否を議せり

1919 8月16日 大杉栄、午後8時頃再三来訪せしも井上不在なり

1919 8月16日 本人の講演会は突然場所を変更し麹町特別要視察人服部浜次方三階に於て16日午後7時より開催来会者約47,8名にして重に平民大学講習会に来会せる者にして既に同会に於て入場券を購求したる者多く本人は《労働運動の精神》と題し(用意せし原稿を忘れ来りしを以て簡単なりしと)現時の労働運動の二形式として給料の増加、時間の短縮を叫ばれ居れるも労働者には生物としての要求又人間らしき生活を為すべき要求が奥深く潜み居たるものと思う其生物的要求を充実せしめ押し薦めて行けば社会主義に到達するか或は無政府主義に到達するに至る可しと思うと就きて労働者の自覚を促し労働者は自ら社会の一切の事物を為すの覚悟なかるべからず之れ労働者の精神なりと結び約30分の講演を為せり而して聴衆は本人に対し本題に関し質問応答■■くあり聴衆は午後8時30分散会せり本人等の同志は本人、服部、岩佐を除くの他神田青年会館に開催せる友愛会演説会に妨害を試みるべく出掛けたるも同会は満員の為め入場するを得ず警戒の警察官と押問答を為したる末一同再び服部方に引上げ雑談の末午後9時30分散会せり

1919 8月22日 大杉栄、吉田一の公判傍聴 窃盗竝に電気法違反事件 9月3日、10日も
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by tosukina | 2011-09-28 01:12

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