大杉栄

大杉栄『自叙伝』土曜社発行 2011年9月16日其の九

1919 9月9日の記述 大杉栄は同志荒畑勝三、山川均、吉川守国の三名に対し8月23日午後1時より麹町区有楽町1ノ4服部濱次方に参集方を申込みしか右は豫て彼等の間に果し居られる『労働運動』と題する定期刊行物(毎月1回)の発刊に関する協議を遂げんか為なりしか山川は病気に託し出席せす荒畑又無断欠席し吉川守国のみ一名出席せるを以て何等纏りたる談話等なく更に日を期し会合することとなりたるか該刊行物は大杉栄等を主幹とし伊藤ノエ之が補助となり近藤憲二を会計主任となし外に実行員として和田久太郎(人夫)中村還一(職工係)たらしめ本紙の発行と共に労働運動に関する目覚ましき活動を開始すへく而して大杉栄の計画としては山川均、荒畑勝三、吉川守国、服部濱次の4名を客員として補助せしむへく之に要する費用を三百円とし内二百円は近藤憲二か国元より取寄せ百円は大杉、近藤、中村、和田等に於て調達し保証金は前記四名(客員)にて調達せしめんとの計画なるか山川、荒畑、吉川の三名は大杉の性格上到底永続の見込みなきのみならす借入資金の如きも浪費する必然なりとて体能く断るへく協議せるやにて為めに何れも事故に託し殊更出席せさりしものの如しと云う

1919 8月24日 午後7時より麹町区有楽町2丁目特別要視察人服部濱次方に於て同荒畑勝三等主催の労働問題研究会に出席せり(荒畑勝三名簿参照)

大杉栄は曩に荒畑勝三と感情上の衝突ありしを以て山川均は8月26日早朝荒畑勝三を訪問し種々説く所ありしものの如く荒畑は大杉にして失言を謝罪するに於ては従前の如く共に運動をなすへきも大杉の傲慢不遜にして放縦なる性格は到底改善すへくもあらさるは雑誌発行に表面氏名を出すは好まさるも相当助力を為すを辞せすとて調停を容るることとなりしを以て山川均は服部濱次を訪問し荒畑との交渉顛末を語り吉川守国を招き大杉を説かしむることとし

1919 8月27日 27日吉川は服部と共に大杉栄を宿舎に訪問し山川均と荒畑勝三との交渉の顛末を陳へ君(大杉)の専横は各人の認むる所なれは一応荒畑に陳謝すへしと説きたるに大杉は既に単独となり居るを憂慮し居る折柄とて両手を下けて陳謝するは好まさるも単に失言を謝するは寧ろ当然なれは至急会合すへく取計ひありたしと述へたるに依り

1919 8月28日 28日午後2時より大杉、荒畑を初め山川、吉川、服部、近藤憲二、和田久太郎、中村還一の八名集合し山川は大杉、荒畑の交渉顛末を陳へて大杉より一応の謝罪を為さしめ更らに大杉の発行せんとする雑誌労働運動の資金其他の方法を協議せるか発行に要する準備金三百円は大杉より支出し(大杉は既に大石七分より借入れ約ありと云う)保証金一千円は高利貸より借入るる筈なるも大杉にては到底貸与するものなきを以て吉川守国、服部濱次、両人にて責任を負うこととなり而して雑誌表面の関係者として大杉栄、伊藤ノエ、近藤憲二、和田久太郎、中村還一の五名となし山川、荒畑等は裏面にありて援助することとなれり而して実際運動として来る9月1日より「北風会」を改称して「平民結社」と名つけんと主張せしもありしか警視庁の干渉あるへしとして「労働同盟会」となすことに決し三章位の綱領を以て近藤憲二、和田久太郎、中村還一の三名をして主宰たらしめ更に荒畑勝三の「労働研究会」は二、三ヶ月の訓練を為したる後之に併合し一大結社となすことに決定したりと云う

 追て北風会組織変更に付いては各同志へ既に通告状を発しありて9月1日例会席上協議するものの如し又当日堺利彦出席する通知あるも大杉との打合上出席を断わりたる由

1919 8月30日 吉田只次方 「大杉出獄に対する慰安を名とせる」京浜主義者の会合に出席

1919 8月31日 <状勢>大杉栄出獄慰安会、吉田只次方。吉田只次は本会合を機とし自宅に同志の団結機関として「赤旒会」なるものを設置せり

1919 9月1日 午後8時小石川区指ヶ谷町92番地特別要視察人若林ヤヨ方に開催せる北風会例会に出席せり<大杉栄>

…次の当夜会合の主要問題として北風会組織に関し近藤憲二起ちて本北風会は故渡辺政太郎■宅当時有吉三吉氏主催の会合と合同以来盛況を以て…近頃単なる研究的会合にあらす新同志か加わり且つ実際運営に入りたる事は充分認識し得らるへし就いては北風会なる名称者か茶人風かの如くに見え一般社会に労働者の会合たるの感想を抱かれるに能わす故に此の際純然たる労働何…水沼辰は之に反対し組織の変更せば必ず官憲の圧迫を受け我々唯一の会合は為に之れが運動方法の如き具体化するは賛成なるも労働者其者か忽ちにして労働を棄て運動者と化するは遺憾にして彼の吉田一の如き好事例なりと事例を引用し労働の傍ら運動を為すの要を就き前説に賛成せす

次て中村還一、斉藤謙次郎も同様之には賛成を為せり

次て和田久太郎、服部濱次は近藤の提案に賛意を表し

宮島信泰憤然として「馬鹿野郎何と吐かす俺は水沼に大賛成だと怒号に起ちて労働者が労働しつつ労働問題を説く処に…大杉、荒畑の如き筆の人は労働者にあらす彼等は如何に社会を利する生産を為すやと攻撃して退場せり」

而して服部、荒畑等も続いて退場したるも残留員に於て具体的運動に…具体的運動に賛成し組織方法に関しては次回(15日)に譲り午後11時散会せり

〇尚本名<大杉栄>は雑談中左の談話を為したり

(9月3日吉田一の公判傍聴の件…)

予と近藤、和田、中村の四名を以て労働運動と題する雑誌の発刊を計画し明日より準備に着手し10月1日第1号を発刊せんとす内容の詳細は9月15日の会合に発表すへし十分の応援を希望す云う

1919 9月2日 検事局へ名誉毀損の告訴を提起…民事訴訟として…

1919 9月8日 「神田美土代町青年会館に開催の労働団体信友会大会に関する費用は岡千代彦(三十円)、吉川守国(十円)、服部浜次(十円)、大杉栄(十円? 二十円?)、等を支出せしか大杉栄一派は本労働団体を自派のものと為さんとの野心を抱懐し、益々接近し現在信友会員たる高田公三、水沼辰、鈴木重治等の同主義者を通し盛に懐柔策を奔し居るは明白なるか同会員中には既に主義者の関係し居るに■■たをさるものあり水沼辰か今回国際労働者会議問題に関する協議委員として信友会の代表者に選挙せられたるは社会主義者の運動に由るものなりとし之に反対を称すーふるもの多数ありと」官憲資料

1919 9月9日午後6時10分 神田、明治会館に於て開催 庄司俊夫(労働中尉)の主催に係わる労働問題演説会に出席

1919 9月11日 東京地裁 懲役三ヶ月に処す 言渡し 上告

1919 9月12日 午後7時より 若林方 東京労働運動同盟会第二回例会に出席

1919 9月15日 午後7時より小石川区指ヶ谷町92番地乙号若林ヤヨ方に開催せる北風会例会に於いて本名<大杉栄>は北風会会名変更竝に組織に関し左の討議を為せり

原案として

• 本会を東京労働同盟会と称す

• 自主的労働運動を促進するを以て目的とす             

• 又労働運動の研究を為し実際運動に従事する事

• 常任幹事の件<入力者による略>原案に付き説明を為し之れを要請したる

名称に於て異論あり■東京労働運動同盟会と修正し原案通り可決決定せり

1919 9月26日 曙町を発行所として届出
1919 9月27日 東京地方裁判所に於て田山裁判所長係にて陪席として鶴、尾高両判事竝に岩松検事立会公判開廷

1919 10月1日 <状勢>北風会、次回期日を第二、第四日曜日に変更することとし

1919 10月2日 第二回公判弁護士花井卓蔵、大澤一六、長野■助、山崎今朝弥、布施辰治の5名出廷 被告は先般も起立せす悪習慣は改めさるへからす依て起立するの必要なしとて起立せす…

1919 10月5日 午後5時 築地精養軒 山崎今朝弥開催 晩餐会に出席 晩餐会は本年8月8日より一週間平民大会に於て自己主催の下に開催せる夏季講習会に関する講師竝に尽力せし者に対し慰労

1919 10月6日『労働運動』第1号発行 本郷区駒込曙町13

大杉栄執筆原稿<労働運動の精神><賀川豊彦論><読者諸君へ>「中村還一、年二十二、時計工 和田久太郎、二十七、人夫、新聞紙違反で十ヶ月の牢獄生活を終えて出て来たばかり 近藤憲二、二十五、早稲田大学政治科卒業伊藤野枝 尾行巡査への障害罪で入獄中の活版工延島(のぶしま)英一、十八」

1919 10月12日 <状勢>北風会、各自主団体(支部)の設定、大杉は演説を為したり「本人はギルド社会主義の批評に付講演の筈なりしも雑誌労働運動発刊に付多忙の為め用意する能わずとて唯ギルドの栄しき批評を為すさんにはギルドの起りし欧州中世紀よりの経過推移を…………完全たる批評は次回に譲とて降壇

次に根岸正吉、橋浦時雄より本人に対し政治運動の可否に付質問あり右に対し本人(大杉)は代議政治は人間を■的と為す者にして自著社会的個人主義にも之を説明しあり然ども議会政策も労働者が直接行動即ち労働者が労働者の威力を以て議会を左右する例えば法律を廃すると云う法律を作るが如き事を論ずる場合あらば之れを賛成するものなり又労働者が真に其力を有したる場合は議会なる順序を履むの要なき事となり議会を左右する事を得べき場合来たらば労働者が全て意の儘と成る時なりと説き尚自己の生活を他人に代表し貰うは自己を駄獸化するものにして自己の事は自分にて為さざるべからず即ち自主自活の精神が必要なるを以て此意味に於ても代議組織に反対すべきものなり而して吾人同志中にても直接行動と云えば全てが暴力を意味する如く思うものあるも直接行動は非常に其範囲を広きものにて温和なるあり又過激なるあり労働者等が各自の要求を貫徹せん為め雇主に対し同盟罷工を為すは経済的直接行動にして労働者が自己の力により議会を圧迫し自分等の意の儘に動かすは之政治的直接行動なりと述べり

而して又黒瀬春吉は本人(大杉)に対し本人が労働組合の研究を為す目的を質問したるに対し

大杉は労働組合は将来に来るべき新社会を組織する用意なりと何れも称し居るも自分は労働組合の発達する迄に革命は勃発するが又は之が完全に発達したる結果発現するか不明なる故自分は労働組合は多数の組合が組織され而して之が連合合同し大なる力となり始めて一つの原動力として革命を遂行し得べきものと思う……昔の無政府主義者は何れも今日の労働組合の発達を予想し居らず全ての社会的制度、機関を直ちに破壊し混乱時代を起すを目的としたるものなるが社会の因習的思想又は精神は容易に変改する事を得ず其変改し得ざる精神を以て完全なる新社会を建設することは不可能なるを以て革命に就ては現社会の全てを破壊し…………」

1919 10月18日 大杉栄、吉田一の公判傍聴

1919 10月26日 東京労働運動同盟会例会出席「ギルドソシアルズムの批評」と題した演説

1919 11月1日 <状勢>愛知在住、松井広文、大杉栄一派と共に労働者大会の開催を計画す。大杉は30日東京よりり会同。

1919 11月7日 大杉は和田久太郎、中村還一の両名を京阪地方に派遣……隠密の間に主義を鼓吹する意向…

1919 11月9日 労働同盟会(一名北風会)に出席

1919 11月13日『労働運動』第2号発行 関西支局 南区空堀町11武田伝次郎方主任和田久太郎

南出張所 南区水崎町719逸見直造方主任逸見直造 名古屋支局 中区西瓦町2の23主任伊串英治

1919 11月15日 大杉栄、神田明治会館 印刷職工八時間労働実現賃金値上問題等に関する講演会に出席

1919 11月20日 大杉栄、若林方 丹潔主催 民衆文芸座談会に出席

1919 11月22日 大杉栄、神田常盤に於て開催 山崎今朝弥主催、藤田貞二の送別会に出席

1919 11月23日 大杉栄、労働同盟会例会 高田公三入営送別会に出席 演説 早稲田大学学生某が社会主義を■するものなり而して労働者を味方せんとしたるに対し学生は知識階級に属するものにて階級は昔より■■権力階級の御用をと為し来りし歴史を有す近来労働運動の激烈と成りたるに多くの知識階級は■■に今後攻撃し来りし社会主義又は無政府主義に対し同情を持つに至り或は自分は社会主義なりと云う者も出来せり

従来権力階級の為め働き居たる知識階級の如きも新に生るる新社会の最も有力なるべき労働階級の御用を為すべき接近するに至るべし一方吾々の十何年来の労働運動の中に多くの学生在りしが今日唯一人も残り居らず或は其の権力者に対する知識者の本分を■り或は遁避し去れり此の経験より見るも労働者は決して学生を信用し得ず学生にして其信用を得れとせば続々具体的運動の渦中に役する外方法なし自分としても新斯く倍し居れり云々と結び同十時散会せり

状勢一班第九

高田公三は1919年徴兵適齢に於て検査を施行せられ甲種合格となりしが其の際係員より兵役に服することを望むや否と問われたるに対し自己は無政府主義なるを以て軍備の必要は絶対に認めず従て兵役に服する事も亦絶対に望まずと述べたり其の後高田は大杉一派の同志定期会合に出席し入営の晩は軍国主義整頓の状況を実験すべしと称し居りしが1919年12月1日宿所たる同志若林ヤヨ方より同志鈴木重治、高尾平兵衛、延島英一、近藤憲二、山本智雄、車隆三、松本文充郎、若林ヤヨ等の見送を受け指定時限より約2時間遅刻し麻布区歩兵第三連隊に入隊せり其の際鈴木重治は<横浜赤旒会>の赤旗を松本文充郎は<祝入営社会主義者高田公三君>と書したる白旗を樹て其の他<正義の人を><戦争は罪悪なり><労働者>等の小旗数本携え居たるもありしが所轄青山警察署より注意する所ありしに<社会主義者>と書したる部分を緊縛し信友会員十数名(内主義者4名あり)と共に営内に入り社会党万歳を高唱し憲兵より注意を受けたり

1919 11月28日 大杉栄、同志石井鉄治外 早稲田学生懇談会に出席  

1919 12月3日 大杉栄 京橋区数寄屋橋、笹屋に於て開催、故荒川義英追悼会に出席

1919 12月13日 大杉栄 高知県幸徳駒太郎に手紙を出す

1919 12月18日「入獄の辞」大杉栄 『労働運動』3号掲載

1919 12月19日 大杉栄、京橋、笹屋、本人送別会に出席

1919 12月20日 大杉経営雑誌労働運動発刊善後策に関し同志、吉川、服部、近藤、和田、中村、延島英一、石井鉄治討議を為す

1919 12月23日「大杉は中野の別荘へ行った」『労働運動』3号掲載

1919 12月23日 大杉栄 午後4時東京監獄へ収監、24日豊多摩監獄へ移監

1920 1月1日『労働運動』第3号 小石川区指ヶ谷町92

1920 1月11日「豊多摩監獄から」「編集の後に・今月から久板が加勢して呉れる事になった」神戸支局市外東須磨鷹取駅下車、主任安谷寛一

1920 1月13日 大杉経営雑誌労働運動発行所及印刷所を変更せり 大杉経営雑誌労働運動第3号中「ボルガ団」の記事は秩序を害するものと認められ抹殺の上発行することとなれり

1920 2月1日『労働運動』第4号 本郷区曙町13「征服の事実」

1920 3月23日「出獄の辞」大杉栄 5号掲載

1920 3月23日 大杉は刑期満了出獄 午前7時10分同志近藤憲二外12名の出迎えを受け市内電車にて9時50分本郷区曙町13番地へ帰宅せり

1920 3月28日 大杉栄、午後8時より自宅に同志服部浜次外8人を招き出獄祝いの小宴を開催

1920 4月1日 午後7時より服部浜次主となり神田錦町貸席松竹亭に於て大杉栄出獄歓迎会兼荒畑勝三大阪行きの送別会を開催

監獄に居るのは十年も三ヶ月も同じ事です十年も左程永いとは思われません三ヶ月も短いとは思いません……私は最早青年ではありません……無題 監獄は■いのちはありま……痛いです又私は……風邪に罹て居るのですが12月より3月迄入獄中一度も風邪を引きません又持病の肺病も■くなりました、これからは労働運動にも携わる心算です、労働問題は小さい問題ではあません、そして世間の人が云う様な解決をしましたなら夫れこそ取り返しは付きません、生活の最低限度に付労働条件を定むることに努力しなければなりません、私は最早青年ではありませんし其私(?)に付きまして■■もあり方法もありますが今日は之を述べません………になりましたら何等かの運動を起しますから皆さんの援助を■わなければなりません

無題 私は入獄中は常々差入ます事があります其は十年余も監獄生活をして居る某氏を救い出したいと思う事です某氏を救い出す事に就て皆さんと相談する考えで居りましたが後日の機会に■ります

無題 美術家や文士は少し位監獄に這いらなければ真の美味は分りません又大学の芸術味を弁ずる事は出来ないと思います

1920 4月3,4日 黒曜会作品展覧会に出品

1920 4月3日 午後6時30分より神田区美土代町青年会館に於て思想団体連盟主催森戸元帝国大学助教授其の他の関する首題の件開催、大杉は左の如く演説せり 大杉は演説せり 会場の秩序とは何んぞ

私の演題は主催者側に於て……定めたるものして受入無題無題………全く新しい生活に生らんとすることは間違て……吾々は一歩一歩と斯く生活を造らねばならぬ   然市して吾人の新き生活の第一歩は自由である然るに聴衆諸君の弁士の言ったとか矛盾であっても不徹底であっても何等質問でもなさぬと云うことは即自由がないからである其れを破れる様な秩序は今日の秩序であって吾人の造らんとする社会の秩序ではない……自由な人格であって個性の……である而して個性の成長は互いに永久不可能のものである決して社会主義者や無政府主義者の言うが如く■■するものでない人類の歴史を見る時は何時の世にも個人が自覚たる時代はない唯私欲を充たさんとするもの……新き歴史を造らんとするものは極めて小数者であると云うことが……現象である而して…………主義者が中心となりて将来の新しき社会を創造するものである而して其自覚したる人間がどうするか他の多数者であると云う………自己の有する思想は極めて明白に遠慮なく大胆に発表することである其して其思想は……発表するのみちなく極めて明白に極めて大胆に実行すると云うことである(中止)…………臨監警察署よりり中止を命ず

1920 4月8日 大杉栄、長女魔子、和田久太郎外2名と共に来神賀川豊彦を訪問神戸市三宮町

旅館滞在の通知に接し安谷寛一来訪の処大阪へ引返し跡にて会見を得さりしと云えど真偽判明せず

1920 4月15日 午後8時より小石川区指ヵ谷町、若林ヤヨ方に労働運動同盟会例会を開き席上……《……社会主義と今日の主義■■時勢の変遷に伴い変化を為したり》と其経路を述べるや会員……質問を受け結局帰着する処なきを以て本人(大杉は)之を補足し統て社会の事物は時勢の変遷に伴い進化する最も意義あるものにして何等進化なきものとせば■■に等しく……現在無政府主義の旺盛なるを説き諸君も此の意義ある進化に努力せられ度又労働運動に付ても近く頻発し同盟罷業等多からんと思料するを以て■種の研究の要ありと述べ尚過般関西に為したる旅行談に移り大阪京都にては会合催し講演を為したるが大阪の集会は自己の予想以上の進歩を京都会合も5名以上ありて重に友愛会の不平■なりしが思想及運動■大阪方面の夫れと■同一なり自分も今後時々京阪方面に到り■■を為す■なりと述べ■て本人(大杉)は前期席上に於て左の談話を為したりと云う

大杉は一、大阪方面に四、五十名程収容し得る家屋を借り入れ置きて毎月一、二回集会を催し度し ………

1920 4月20日 大杉栄は午後5時より京橋南鍋町2丁目13番地カフェパウリスタに於て開催せし神戸在住未編入者賀川豊彦の歓迎会に出席

1920 4月30日 『労働運動』第5号 小石川区指ヶ谷町92、労働運動社 麹町区有楽町1の4

<労働運動の転機> <無政府主義の腕> 大杉栄「マラテスタの逮捕の件」

1920 5月2日 メーデーに参加何等不法の企あるとの噂にて予防の為一時検束を受けたり

1920 5月4日 大杉は鈴木重治等と吉田只次の裁判傍聴■■市内戸部町吉田の留守宅に会合し去る2日東京上野公園に開催せる労働祭参加の目的にて服部浜次等と共に自動車にて出発せし■■日比谷署に検束せられたる顛末亦吾労働問題の急激なる変化の状況等を述べて座談せり

? 大杉栄は衆議院議員立候補とな麹町区に拠り一票の投票ありたるは服部浜次の投票ならん(「調査書」によるが他の人間と混同しているのか要調査)

1920 5月15日 若林方、労働同盟会出席

1920 5月16日 服部浜次方に開催せる労働問題研究会に出席せり

1920 6月1日 『労働運動』第6号 指ヶ谷・有楽町 

<社会的理想論>大杉栄 

<僕の新居は相州鎌倉町小町瀬戸小路>大杉栄 

<鎌倉から>四月の末に、前の曙町の、例の家宅侵入の家を、丁度一ヶ年目で引き払って、僕の一家は引越した。村木の活躍 鎌倉の警察 高等視察、菊栄さんが前に住んでいた辺りを探す 翌日の昼東京に出た、玄関から門を出て真っ直ぐ停車場へ行った。誰もお供が来ていない。 其晩は日比谷の服部の家で泊った。そして翌日、即ちメーデーの当日、服部と一緒に上野へ行こうとする所を日比谷署の視察共にちょっと署までと云われて、上野の会の済むまで其処に検束されて了った 夜、鎌倉に帰ると

<広告> 一段あいたから何か書けと云う 『一革命家の思い出』が、漸く先月の二十日に出た 次には、この五月の下旬、僕と伊藤野枝との共著、小説集『乞食の名誉』が出版された。 多分本月上旬には出ようと思う、神戸堂発行、『労働運動の精神』 それから、本月の末か来月の始めかにクロポトキンに関するものが二つ出る。一つは書店アルス発行の『クロポトキン研究』で、もう一つは日本評論社発行の『クロポトキン精髄』だ。 僕の古い論文集『生の闘争』と『社会的個人主義』とが久しい間絶版に成っている。で其の中の主な論文と、其後の諸論文とを併せて、新しく『社会主義と個人主義』と云う題で出す計画がある。出版は多分夏過ぎになるだろう。叢文閣発行。 ……デ・フリイス『激変説』をやり始めた。『昆虫記』

<京都支局ができた>久太

1920 6月15日 若林ヤヨ方、労働問題同盟会に出席「橋浦時雄より大杉君は日頃無政府主義者あらず大杉主義者なりとの弁ありて大杉主義の■■を望むと述べたるに対し大杉は之に答えて曰く2,3雑誌に其意味を載せたるも夫れは皮肉にして世人は其皮肉を倍するは■■なり自分は無政府主義なり只外国の主義其儘にあらず無しとも多少はクロポトキンの主義を基とせりと」         

1920 8月 コミンテルンの密使、大杉を訪ねる

1920 10月 大杉、上海の社会主義者会議に出席

1920 11月23日 6回黒耀会展覧会、警視庁から検閲、撤回命令が出される

1920 12月1日 若林ヤヨ方、東京労働同盟会に出席

1920 12月5日 東京牛込山吹町八千代倶楽部に開催せる高津正道主催暁民会講演会に参りたるも間もなく所轄署へ検束せられ午後7時釈放(?)となり同夜麹町元園町同盟仮事務所の同盟研究会に出席同10時退散

1920 12月9日 神奈川県鎌倉小町在住大杉方に社会主義者同盟大会地方出席者慰労の為と称する歓迎会を開催し大杉門前に黒赤旗二流を高飜し其傍ら■む鎌倉駅より大杉方に到る沿道3ヶ所に「社会主義者同盟会地方出席者歓迎会」と朱記したる「ビラ」を配布する等……5名を先頭に久板卯之助外17名の……大杉方に集合…公安を害する講演を開催せるを以て直に中止解散を命じたるに39名等は解散を不当……鎌倉署に検束し取調其不……放還せり

1920 12月10日 午後6時26分入京神田青年会館に開催せる自称社会主義同盟講演会に臨みたるが直ちに公安を害するものと認め錦町警察署に検束せられたるも即時釈放

1920 12月25日 午後2時頃有楽町……事務所兼寝室……

○大杉は日本社会主義同盟に対し無政府主義者たるの…… 本人(大杉)は午後2時頃麹町有楽町3の1露国人「アレキサンダークリチャノフスキー」方を訪問したき■中止さるも主■は英語に通ぜず亦本名(大杉)は露語に通ぜざる為……波蘭陸軍武官「ウィンコフスキー」と会見中波蘭公使館員「ヴァリリワエル」に通訳依頼し、自分は新聞記者にたる折柄■■「ジャパンアドバータイザー」紙上にて貸室ある事を見て訪問したる■■なりと述べたるを以て露国婦(?)人は即座に之を承諾し一ヶ月分■■百十円を……27日より止宿することとなかりし……
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by tosukina | 2011-09-28 00:15

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