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大杉栄

横浜・久保山墓地[無縁とされた人たちの墓碑]


「真実と和解のための過去事整理委員会」調査に同行。同委員会の概要に関しては画像の最後に掲載。2008年10月1日

 政府委員会による調査進行中のため詳細は報告しませんが
「名前- ゾボンゼ (趙奉才) 本籍-韓国済州道南済州郡デゾン(大井) 邑 
生年月日- 1928.8.5.【註 「戸籍」によると1918年生まれ。従兄の証言でも1918年生まれ・委員会がデータ化したときに数字をミスして記入の可能性。2008年12月2日】」の遺族(従兄弟)の要請による調査行動です。
1946年、横浜刑務所長名により本人の死亡通知が故郷の役場に届き除籍される。
 この通知以外に同人名の記載されている公的書類は「発見」されていません。

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横浜刑務所正門
所内にて午後3時から趙奉才さんの埋葬(納骨)に関る事実経過、埋葬場所確認を刑務所庶務課に求める。
 韓国から文書、電話による確認に対しては回答がなく、面談の確約も得られていなかった。
刑務所側にとっては単純な事実すら(刑務所内で囚われたまま死亡した「無縁」の獄中者の埋葬先)、面談をしてもスムーズに回答が出ない。

 横浜市営墓地に「碑」があるだろうということを、庶務課職員が内部確認をして口頭で大雑把に答える。日野墓地(至近の距離にある市営墓地・1950年代の開設)か久保山墓地(刑務所から距離はあるが古くから、1870年頃の開設)、どちらかであろう、とのこと。
 入所者の記録は30年保管後に廃棄をしているので詳細は不明。
 墓地管理者(市)ならば埋葬名簿を把握していると推測をして、急きょ墓地に向かうことにする。
 対応した刑務所庶務課では墓地内での埋葬エリアも把握していない。


 調査委員メンバーとタクシーでまず久保山墓地へ向う。墓地下の「茶屋」でまず問い合わせる。近くに刑務所の「合葬碑」があるということで案内をしてもらう。
 案内されながら判明してきたことは、三ヶ所のエリアに点在しているということ。「無縁」とされた獄中死の人たちの墓碑

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1920年代の合葬碑と推測。
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 碑の裏面
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早い時期の「無縁」とされた獄死者の碑は、このように並べられていた。(案内してくれた方の説明。正式には確認をとれていない)
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数字での表記



100m以上離れたエリアの大きな合葬碑。他に二つ建立されている。
一つ一つの碑を確認する。
横手に小さな碑が幾つか並んでいた。埋葬時期と埋葬数が裏面に彫られている。

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趙奉才は「無縁」として納骨された。この合葬碑が「昭和十一年から昭和二十年」にかけての獄死者の碑。

名前- ゾボンゼ (趙奉才)
本籍-韓国済州道南済州郡デゾン(大井) 邑
生年月日- 1918.8.5.

 訴訟記録は「発見」されていない。
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調査をする韓国の政府委員会メンバー。この委員の方は通常は僧職にある。

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台風が消滅した後の秋空



高層ビルが望める


合葬碑は「ひまわり荘」という文字の下、左に斜めに下がる道沿い。
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「真実と和解のための過去事整理委員会」(2007年2月に他のブログにアップした記事より)
 2006年11月、韓国の「真実と和解のための過去事整理委員会」のメンバーが来訪した。先行したのは委員長をはじめとした幹事メンバーで委員会の活動の周知と協力要請が行われ、在日コリアンを中心として人権問題、歴史研究に関わっている十名あまりの人たちと懇談の場がもたれ私も出席をした。


 当日は日本語に翻訳された委員会の概要が資料として配布された。そして数日をおいて調査グループも来訪し具体的に調査協力のための文献を提供した。同委員会は資料によると、委員会は韓国政府の組織であるが大統領所属ではなく独立した国家機関であり四年を活動年限としている。
 
 略称は「真実和解委員会」。05年5月に国会で制定された「真実と和解のための過去事整理基本法」に基づき、05年12月から同委員会が公式に活動を始めた。「犠牲者」「遺族」からの真実糾明申請を受付、職権調査をすすめることができる。<「申請」は06年11月末日で締切られている>。

 来訪に合わせて広報も行われたが『朝日新聞』が十数行の記事掲載をしただけのようである。

 重要課題として「民族独立糾明」の領域として≪日帝強占期あるいはその直前に行われた抗日独立運動、日帝強占期以降、2005年12月1日まで我が国の主権を守り国力を伸張させるなどの海外同胞史≫。

「集団犠牲糾明」の領域として≪1945年8月15日より権威主義統治時期に至るまでの憲政秩序破壊行為など違法あるいは著しく不当な公権力の行使によって発生した死亡・障害・失踪事件、その他重大な人権侵害事件と造作疑惑事件≫。

 その他の課題とし≪「民事訴訟法」「刑事訴訟法」による再審事由に該当し真実糾明の必要性が認められた裁判所の確定判決事件、疑問死真相糾明委員会の未完結事件あるいは再調査申請事件≫を対象としている。 

 2006年7月29日「韓国自由共同体研究会」と共同で聞慶(ムンギョン)セジェ博物館にて朴烈と金子文子に関しワークショップを東京や山梨からの参加者と共に開催した。

 聞慶市は、2000年に朴烈記念事業会を発足させ、展示館の建立、生家の復元など多様な事業を繰り広げている。この共同のワークショップは聯合ニュースとハンギョレ新聞により告知され、前記「真実和解委員会」から調査委員二名が当日参加した。参加した趣旨は朴烈、金子文子たちが1923年にたちあげた「不逞社」に参加していた活動家の遺族が同委員会に「真実糾明申請」をしたことによる調査開始のためである。そして協力を求められ東京での再会となった。

<法制定過程に関しては『韓国の「過去清算」とは何か』というタイトルで藤永壯(ふじながたけし)さんが『情況』05年10月号に論文を掲載> 直接リンク
藤永壯さん「まい・びぶりおぐらふい」全体のサイトへリンク
2005年の数字をクリックするとアクセスできます。


番外編
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新宿西口「てじまうる」の看板
「てじまうる」公式サイト
 オーナーTさんとは「真実と和解のための過去事整理委員会」との懇談会(2008年9月30日)で出会いました。
「関東大震災時の朝鮮人虐殺」究明に取組んでいます。

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by tosukina | 2008-10-01 14:30

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