大杉栄

1909年夏目漱石の宿

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 大連市・路面電車 1元 16円
1940年代製造の車輌が活用されています。床面、座席部分は古のイメージで改装されています。

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 大連駅から大連港への引込み線にかかる跨線橋。
1908年、関東都督府による五連アーチ、鉄筋コンクリート製、華麗な欄干の飾りは前田松韻設計のバロック様式、全長97m、当時「日本橋」→現「勝利橋」(『観光コースでない「満州」』より)

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ダーリニー時代に最初に整えられた街区。正面遠方の建物が「東清鉄道事務所」(1899年建設か?)→「ダーリニー市役所」。左右に当時の建築物が遺されている。

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 東清鉄道事務所(1899年建設か?)→ダーリニー市役所→遼東守備軍司令部→関東省民生署→関東都督府民生部→満鉄本社→大連ヤマトホテル分館(?)→大連医院→満洲資源館→大連自然博物館」(『観光コースでない「満州」』より)
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満韓ところどころ 1909年 ≪10月21日-12月30日『朝日新聞』≫ 連載
夏目漱石 テキストは<青空文庫>より
そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり大和(やまと)ホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。
        


 湯を立ててもらって、久しぶりに塩気(しおけ)のない真水(まみず)の中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ叩(たた)くものがある。風呂場で訪問を受けた試(ため)しはいまだかつてないんだから、湯槽(ゆぶね)の中で身を浮かしながら少々逡巡(しゅんじゅん)していると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。

いくらこつこつやったって、まさか赤裸(はだか)で飛び出して、室(へや)の錠(じょう)を明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。すると摺硝子(すりガラス)の向側(むこうがわ)で、ちょっと明けなさいと云う声がする。この声なら明けても差支(さしつか)えないと思って、身体(からだ)全体から雫(しずく)を垂らしながら、素裸(すっぱだか)でボールトを外(はず)すと、はたして是公(ぜこう)が杖(つえ)を突いて戸口に立っていた。

来るなら電報でもちょっとかければ好いものをと云う。どこへ行っていたんだと聞くと、ベースボールを観(み)て、それから舟を漕(こ)いでいたと云う挨拶(あいさつ)である。飯を食ったら遊びに来なさいと案内をするから、よろしいと答えてまた戸を締(し)めた。締めながら、おいこの宿は少し窮屈だね、浴衣(ゆかた)でぶらぶらする事は禁制なんだろうと聞いたら、ここが厭(いや)なら遼東(りょうとう)ホテルへでも行けと云って帰って行った。

 例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの卓(テーブル)へ坐らせられた。その男が御免(ごめん)なさい、どうも嚏(くしゃみ)が出てと、手帛(ハンケチ)を鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、暗(あん)に嚏を奨励(しょうれい)しておいた。この男は自分で英人だと名乗った。


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屋根のアップ
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正面に噴水。

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街区を囲っている門扉を抜けて横手に出ると建物の右翼は「解体」? 途中。鉄筋は後年の補強工事か。


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屋根部分は木造のみ。

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警察車輌の先が門扉内。街区の行き止まり。
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行き止まりの広場の左手に位置しているホテルを転用したアパートメント。詳細不明。画像手前は噴水の飾り。広場に合わせて湾曲している。


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by tosukina | 2008-10-12 19:04

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